由緒

三嶋神社は、1300年近くもの間、野村町とそこに住む人々を見守ってきました。

元明天皇の時代、和銅5年(712年)に伊予国に大三嶋大明神を勧請するようにと詔勅がだされました。そこで聖武天皇の時代、天平5年(733年)に大山祇神社の分霊を勧請し周智郷野村の現在地に鎮座されました。

仁治2年(1241年)には社殿の修理を行い、文禄5年(1596年)には宇和川が氾らんし拝殿(舞殿)が崩壊流されたことから、野村の白木城を本拠とした白木与治衛、泉貨紙の創設者「兵頭太郎左衛門(肝煎:泉貨)」、をはじめ、郷内の41名から材木の提供を受け再建されました。しかし老朽化が進み昭和50年には現在の中拝殿、拝殿が建立されました。

本殿については、享保14年に大水により流され、翌年の3月17日(1730年)に現在の本殿が再建されています。さらに明治43年には、周辺の三十王神社、三柱神社、客神社、天神社、八坂神社、耳戸神社、愛宕神社を合祀、昭和31年(1956年)には、同町の熊野神社も合祀されました。

また、境内の愛宕神社(現在は町内愛宕山中腹に鎮座)は嘉永5年(1852年)6月25日に町内で大火事があったため、当時、庄屋の緒方与次平衛が同年10月15日に「火鎮擁護祈願」のため建立しました。

この愛宕神社への奉納相撲として、100年にわたる「三十三結びの相撲」が行われることになりました。この相撲は毎年旧暦の10月乙亥の日に行われたことから「乙亥相撲」と呼ばれ、昭和27年(1952)に100年の年限が終了しましたが、野村町の観光一代イベントと位置づけられて今も継続され、11月下旬に愛宕神社例祭の奉納相撲として2日間開催しています。この「乙亥相撲」は、日本唯一のプロアマの対戦相撲として人気を集めています。

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